縁起・歴史
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永禄元年(1558年)
高田郡吉田村城山(現在の広島県安芸高田市吉田町)の麓に源蓮社性譽宝山上人(のちの浄土宗大本山黒谷金戒光明寺二十一世の法主)がお開きになられました。 市史によれば慶長年間(1596〜1615年)広島城築城に伴い、広島西魚屋町に移転したとされています。
明暦3年(1657年)
大火類焼にあい、現在地、新川場町(現在の小町)へ移転致しました。火災で立ち退いた戒善寺跡地は戒善寺山号由来の大黒天の袋にちなみ「袋町」と命名されました。
明治5年(1872年)
学制頒布により戒善寺にあった寺子屋が「就将館」と言う名の小学校となりました。その後生徒増加により移転し現在の袋町小学校となります。
昭和20年(1945年)8月6日
原子爆弾の投下。爆心地より700mにある当寺は跡形もなく灰塵と化しました。
昭和21年(1946年)
仏間と二間程のバラックを建てる。
昭和39年(1964年)
18坪半の仮半堂を建築し、萩市より丈六の阿弥陀仏を奉迎。 ※詳しくは弥陀の来た道にて
昭和44年(1969年)
現在の本堂・客殿・庫裏・墓地・納骨堂等が完成。
昭和45年(1970年)
宗祖法然上人と高祖善導大師を滋賀県より奉迎。
昭和63年(1988年)
観音勢至両菩薩が建立寄進され「弥陀三尊両大師」と言われる浄土宗の正式な形が整う。
平成 元年(1988年)
「開基四百三十年記念事業平成大修理」として本堂客殿の外装工事及び、本堂外陣の拡張・本堂トイレ・庫裏増築等を行う。
平成23年(2011年)
「法然上人800年大遠忌並びに戒善寺開基450年」を記念して内外装の大修理を行う。